〜恒例の開花は少し早かったようだ〜 |
今秋の紅葉狩りは、比較的近場の「大山崎山荘庭園」を思い起こして出掛けた。 JR山崎駅から山荘までの急な登坂路には、無料バスが往還している。 紅葉樹の種類によっては既に落葉しているが、結構楽しめた。 帰途 駅近くのl離宮八幡宮へも寄る。ここは嵯峨天皇の離宮「河陽宮」が有った所らしい。 「菅原道真の腰掛石」が、境内の樹木の下に存在する。 |
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本来なら陽春真っ只中のこの時季、隣国発の「new ○○○」 が全世界に蔓延 !! 鬱陶しく憂鬱で腹立たしい日々が続く !! こんな時こそ近くの 「アサヒ迎賓館の枝垂れ桜」で気分をリフレッシュ !! 少し早過ぎるかなと思いつつ出かけたが、ほぼ7.8分咲きで結構楽しめた。 |
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今宮戎神社の賑わいは「宵えびす」の早朝から始まる。 昨年の福笹を集めた本殿前の数個の大きな樽は、早くも零れんばかりで時々境内を ロープで仕切って数人の世話役が牽引し移動させ後に改めて空樽を据え付けている。 着飾った「福娘」達が、福笹に縁起物(吉兆)の大判小判・米俵・鯛等を次々と手際よく付ける。 その福娘をあらゆる角度から狙うカメラマンの列々(今ではシャッターマン)、そして昨年 務めた福娘OG達に写真を配っている男性は契約カメラマンかも ? まさにアイドル的存在、間違いなく今宮戎の主役は福娘の彼女たち !! |
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紅葉も今が見頃、朝8時すぎに「嵐山」駅、渡月橋を渡り直ぐ左折、 大堰川沿いを200mばかり歩き突き当りを右折すると「宝厳院」の 入口に並ぶ行列が見えて来た。「獅子吼の庭」を一周と半分を廻る。 「天龍寺」の「弘源寺」は素通りし嵐電の駅前へ出たが、狭い歩道は 身動きが取れない程の大混雑に巻き込まれた。 焦る気持ちを抑え、大渋滞の渡月橋をなんとか渡り直せた。 帰りは七五三詣りで賑わう「松尾大社」へ寄る。 |
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透き通るような青空をバックにすると「梅の花」はより以上映える。 交通の便が良い「大阪城公園の梅林」へ今年も早くに出掛けてみたが、 カメラマンは数人だけだったが、庭内を一巡する内に三脚一脚を抱えた 一眼の集団にいつの間にか囲まれていた。 |
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小春日和の京都へ出掛けた。四条河原町を起点に建仁寺・祇園界隈を歩く。 四条大橋を渡り南座横の大和大路通りを南に向かう。車も通る狭い道路の両側を歩く 観光客の流れに従って暫らく行くと、「建仁寺西門」が見えてくる。 拝観受付入口の正面には、国宝「風神雷神図屏風」のデジタル複製されたが飾られている。 先に御朱印受付を済ませて、織田信長供養塔がある「方丈」の「大雄苑」で一休みした後、 縁側からいったん庭へ下り、続く石畳を渡って「茶室・東陽坊」も覗く。 方丈の襖絵「竹林七賢図などはすべて重文クラスの複製品、法堂の天井画「双龍図」は 平成14年に創建800年記念として現代画家が描いたもの。 |
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このところ隔年毎に出掛けている「今宮戎さん」、今年は「残り戎」になった。 大阪メトロ御堂筋線の大国町駅から東へ5.6分歩き、南海電鉄の高架を潜った辺りから 縁起物の福笹、福熊手、福蓑などを売る店が狭い参道の両側に並んでいる。 本殿に参拝後、福笹にぶら下げる縁起物を販売する福娘たちの前へ進もうとするには、 福笹を手にした多くの参詣者と一眼を構えた同好の士には気を付けないといけない。 |
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「アサヒビール大山崎山荘」へ9時前に着いたがまだ開園してなかった。 急坂を更に登り隣接する「宝積寺」へ参詣、無人の境内をゆっくりと散策する。 イノシシに注意とある裏道から、再び山荘のゲート前へ戻る。 美術館では谷崎純一郎が好んだ着物展が開催されていたが、 今回は入館は控えて、専ら庭園の紅葉にカメラを向ける。 今年は山荘のテラスをバックにした、絵葉書写真が撮影できた!! |
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先日新設された「JR総持寺」駅から徒歩約10分弱で、 西国巡礼三十三か所の第二十二番札所「総持寺」 へ着く。 「下馬」の石碑が起つ入口は、一般の生活道路に面しており、遠くからの巡礼客を乗せた 大型観光バスは何度も切換して横づけし、名古屋からの巡礼客を降ろしていた。 短いスロープを昇り、左右に仁王像が安置された楼門を潜ると、正面に本堂、左に金堂、 右には太子堂、左手前の鐘楼、その奥には池に囲まれた閻魔堂がある。 |
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豊中ローズ球場から曽根駅へ戻り、阪急高架沿いに300m程北東に歩くと、 萩まつり道了祭が行われている新西国十二番霊場「東光院」が見えてくる。 山門前では数人の山伏による大護摩供養が行られており、 その後では火渡りの業に一般の参拝者も参加できる。 お目当ての萩は、若干満開時を過ぎていた。 |
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冠雪した白山連峰の眺望は素晴らしい !! 小松駅とその周辺は新幹線開通に伴う開発が現在急ピッチで進められており、 弥生時代の遺跡発掘調査も並行されている関係でその完成は10年後になるらしい。 しかし駅舎の上部にはなんと停車中の新幹線列車が・・・!! 5月12日から5月14日に開催される「小松お旅祭り」のモニュメントも各所で見られる。 |
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「漱石と京都展」が開催されている山荘へ出かけたのだが、 「漱石アンドロイドの自作朗読」は、明日からと知ってガッカリだ。 しかし山荘カフェテラスから景観は素晴らしい。 桂川・宇治川・木津川の対岸に男山八幡、左方向には長く伸びる背割り桜堤。 山荘から更に急坂を登った所に宝寺がある。本堂と閻魔堂、 少し降ったところの三重塔の桜も満開だった。 |
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冠雪のチャンスはそんなに無いので、完全防備で出かけたのだが意外と凌ぎ良かった。 特に金閣では吹雪の中、大勢の観光客の間から傘を差しての撮影には苦心する。 銀閣は裏山の上部からの境内全景撮影をパスしたのは残念だった。 |
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中之島のバラ園は、難波橋(ライオン橋)から上流の中州に有る。 見頃は少し過ぎたようだったが、サブカメラを担いで結構楽しめた。 土佐堀川沿いを西に行くと中央公会堂に突き当たり、更に堂島川に架かる 鉾流橋を渡ると、天神祭りの船渡御神事が行われる鳥居と石灯籠が見えてくる。 旧町名の老松町を横切って新御堂筋を渡り、お初天神(露店神社)の境内から 曾根崎通りを通って梅田に帰着した。 |
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豊臣期・夏の陣で焼失した焦土と屋根瓦、隅櫓の石垣の裏込め石として利用された石臼などが見える。 秀吉の栄華と残された遺児秀頼と淀君の悲哀が偲ばれる。 1984年に発掘した石垣の公開施設の建設資金の募金が始まっていた。 |
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丁度重要文化財の多聞櫓、千貫櫓、焔硝蔵が特別公開されていた。 徳川期の遺構とは言え、当時のままに残されている。 |
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見頃には程遠い梅林は、見物客が少なく静かでゆっくりと寛げた。 この程度の咲き具合の方が、逆に目移りせず撮影には良いかも。 |
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JR京都駅を出た辺りまで延びるバス待ちの長い行列、この好天気では致し方なし。 方向音痴では無い筈なのにほぼコの字型に遠回りしてしまい六波羅蜜寺へ着いた。 後は頭に描いていた通りのコースを辿り寺社仏閣巡り紅葉の撮影行。 |
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早朝 四条大宮から嵐電で嵐山へ向い、紅葉目当ての撮影行に出かけた。 天竜寺の庭園を一覧した後、竹林に囲まれた坂道を登り、今日の第一の目的地・大河内山荘へ向かう。 映画スターが自費で建築した数寄屋風の山荘を取り囲む手入れが行き届いた宏大な庭園を満喫する。 嵐山公園から保津川畔へ出て一服し、土産物屋が並ぶメイン道路から嵐電駅へ戻る。 数十年振りに嵐電を車折神社で下車、その後一駅戻るような感じで鹿王院へ足を延ばす。 本庭前の廊下で一休み、薄暗い舎利殿内を見て出る。 山門から続く細い参道の両側の紅葉はこの時期にしては少なかった。 |
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御室桜のシーズンが終わった仁和寺を時間をかけて拝観。15分位歩いて竜安寺へ着く。 石庭に面する方丈の縁側は座り込んだ人で満杯。鏡容池を一周、新緑のアーケードを歩く。 次にバスで金閣寺へ脚を伸ばす。何時拝観しても鏡湖池越しの金閣は観光客のスポット。 一旦京都駅へ戻り、近鉄で一駅先の東寺へ廻る。ここはさすがにお寺の雰囲気がある。 金堂と講堂、食堂内の国宝、重文の仏像はどれも気品と重厚さがあり思わず合掌する。 |
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嵐電・帷子ノ辻で乗り換え、仁和寺へ向かう。 | ||||
石庭が有名な竜安寺、ここは西洋人の観光客に人気があるようだ。新緑が見頃。 | ||||
観光、撮影のスポット。アジアからの行楽客でいつも賑やか。 | ||||
国宝、重文の仏像群には別格の親しみが湧くのは何故だろう。 |
公園へ入った頃には気温も上がりブラブラと歩くのには最高の日和になった。 シーズンオフで人気のないひっそりとした梅林の横を通り、しばらく行くと緩やかな斜面から 下り切った平地一帯に各種、各色のチューリップの花壇が連なっている。 資料によると29品種・約10万球をこの一か月のフェスタ開催期間に楽しめるように 開花時期をずらせて植えつけているそうだ。 |
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平安神宮から北東へ徒歩で約25分のところに「金戒光明寺」がある。 会津藩主で京都守護職・松平容保の陣所でその指揮下にあった新撰組の初代屯所。 好天で暖かくなってきたのでもうひと踏ん張りし「南禅寺」へ向かう。「山門」からの景観は〜まさに絶景かな〜。 「琵琶湖疎水の「水路閣」は度々TVドラマにも登場する。方丈庭園「虎の子渡し庭」「如心庭」でしばらく静座。 バス停へ向かう途中、隣接する「永観堂」の「みかえり阿弥陀」も拝観後、JR京都行きバスに乗車する。 |
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今シーズンラストの観桜。 想いは同じ 大勢の人出 とみに海外からの観光客が目につく。 ちょっと誇張し過ぎるが、我々母国語の会話を聞くとホッとする(笑) 300本余の桜 中でも紅枝垂れは絢爛豪華 2時間ばかり歩き回って快い疲れ !! |
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若干の気温の低下もあったが例年通りに桜が綺麗に開花してくれたので、恒例になっている近くの桜見物に出かけた。 アサヒビール吹田工場の迎賓館は、今年から駐輪場が入口に新設されており今年はこのポイントから数本の 枝垂れ桜を一望できるようになった。この青空をバックにするとのこと桜の花が映える。 片山神社の桜はかなりの古木で神域の神々しさにマッチしている。 |
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特別公開文化財の内、今回は六道珍皇寺と成就院を拝観する。 春めいてくると行楽シーズン酣になるものだが京都は特に海外からの観光客が多い。 なかでもアジアの某国からの行楽客が非常に多くなって我々は何か肩身が狭くなってきたような錯覚に陥る。 |
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「梅まつり」の初日は暖かくて透き通るような真っ青な空、まだ咲き始めとは言え、 梅花の香りがぷんぷん漂う。メジロのサービスもあって楽しく撮影できた。 また工事中のEXランド跡地はまさに現在大工事中だ。 現場には現時点での進捗状況がよく分かる空撮写真が架かっていた。 複合娯楽施設とガンバ大阪のホームスタジアムも出来るらしい。 |
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昭和元年関西へ移住後神戸市内を幾度か転居を繰り返したが、ここ東灘区反高林の「倚松庵」には最も長期間居住した。 また松子夫人の四姉妹をモデルしてその日常を描いた「細雪」は、ほぼこの邸宅を舞台に繰り広げられた小説である。 |
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何代目かの「グリコ」 | お馴染のフグ屋 | 定番のスポット | がんこ発祥は「十三」 | ここにこんな物が ! |
若者の社交場だった 「美人座」はこの辺り |
決して怪しくない !! エスカレーター |
全身苔まみれの 水掛け不動尊 |
織田作に因んだ ぜんざい屋 ? |
当時は少しハイカラ だった喫茶「ミツヤ」 |
とあるジーンズ店の マネキン |
十数年ぶりに 洋食「明治軒」へ |
これが問題の オムライスだ |
「浪花そば」の鴨なん にすべきだった |
この二階が本店 |
大震災後は訪れることがなかった三宮の街。 昼日中の生田神社の朱色も華やかな神殿にお詣りする。 すっかりあか抜けた街並みにこちらは完全なお上りさんだ。 元町にも足を延ばす。近くの呑み屋には昔よく立ち寄ったものだが、南京町は初めてだ。 どの店で昼食を摂ったものか迷ってしまった。この狭い通りに中華料理店が何軒有るのだろうか。 |
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上新庄交差点の細い一方通行をしばらく行くと高浜橋を渡る。その直ぐ上流に左側の安威川と 右側の神崎川との合流地点が見える。渡り切ると宮の前通りになり真っ直ぐ行くと高浜神社に突き当たるが、 その右手前右折、左側に江戸時代の吹田を一部支配した旗本柘植氏の庄屋敷(浜屋敷)が市により修復保存 され一般公開されている。勝手口を入りると正面左に大きな「へっつい」が復元されている。 座敷は入口に近い方から、「落ち間」「茶の間」「玄関の間」「次の間」の左が「座敷」「仏間」と続く。 欄間に残る鳳凰は当時のままで色彩も確認できる。各部屋は現在は催事用貸座敷として利用されている。 今日は母屋だけの見学だったが、渡り廊下で繋がった「蔵棟」には資料館などがあるが次回の楽しみに。 |
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前々から興味があった紫陽花寺・三室戸寺と改修なった平等院・鳳凰堂へ出かけた。 JR京都からの奈良線と京阪宇治線とのベストな乗り継ぎ箇所が判らないまま出たのだが、 どこにも書かれていないコースをハプニングもあって発見、二箇所巡りを無事楽しんできた。 アジサイ畑は広大で各種の開花はカメラマンにとっては恰好の被写体。 平等院は二十数年ぶりの拝観だが、鳳凰堂以外はそんなに見るところがないのに 拝観料とは別に鳳凰堂への入館料も必要なのは少し納得がいきませんでした。 |
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今年は5月に入って少し早めに行ったの正解、ほぼ満開に近かった。 こじまりしたバラ園だが、市の管轄なので撮影会や写生会がこれから開かれるそうだ。 例によって華やかなバラのオンパレード、目がチカチカしませんか。 |
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「長谷寺」のサクラは満開、約1時間ゆっくり撮る。日本最大の十一面観世音菩薩が特別公開されていた。 戦国武将・後藤又兵衛邸跡の樹齢三百年を誇る「又兵衛桜」はNHK大河ドラマで紹介されて 以来観桜客が増加、周辺も整備されカメラマンの恰好の被写体にもなっている。 数十年ぶりの「明日香村」はすっかり変貌して田んぼの真ん中に有った石舞台の有る広場への入場は 有料になってる。。甘樫の丘への昇りも頂上の広場も綺麗になっているが大和三山の姿は当然不変 !! |
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気温もぐんぐん上がって恰好の行楽日和になった。7分咲きの梅林の狭い通路はところどころ人だまりが出来る。 初対面の同好のカメラマンと話し込んだりしながら三巡する。久し振りなので本丸の方へも向かう。 北側に回り込むと山里郭、ここからの天守の眺めも新鮮だ。 西側には大きく育った桜の木に覆われた西ノ丸広場が見下ろせる。 |
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早咲きの菜の花、バックは冠雪した比良山系、イメージを膨らませてWさんと出かけた。 思っていたよりも寒気は凌ぎよかったが、肝心の対岸の比良山は時雨模様でベストショットは撮れなかった。 |
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前日からライブカメラで冠雪する状況を見て今朝最終的に確認、Sさんと出かけた。 京都も昨夜からの雪が降り止んであいにく雨になった。 溶けてしまうと台無し、運だめしだねと話しながら開門の9時少し前に並ぶ。 スマホ、ケイタイ、コンパクトカメラに傘を差した某国の観光団体と出くわして最悪 !! まあなんとか〜雪の金閣寺〜をアップ出来ました !! |
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京都紅葉狩り第二弾 !! 醍醐寺と勧修寺に行くことにした。JR山科から地下鉄へ乗車、醍醐駅からはコミニュティバスが走っている。 秀吉の「醍醐の花見」で知られているが、紅葉も見頃との情報だったので出掛けたが少し遅かったようだ。 国宝五重塔から奥へは初めて入る。先週のコースとは違って人もまばら。 地下鉄で一駅戻り小野駅から10分程歩くと勧修寺に着く。 ここの氷池庭園の中心を占める氷室の池は、蓮とカキツバタがシーズンには開花する。 |
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紅葉の撮影に京都へ出かけた。駅前から市バスを利用し先ず五条坂から「清水寺」へ。 一部工事中だが紅葉はほぼ見頃、「子安観音」の近くから引き返す。 「産寧坂」、「二年坂」から「高台寺」へ向かう。境内は狭いが池を巡る紅葉は素晴らしい。 「ねねの道」を通って「八坂神社」から「円山公園」へ入る。樹木が立派に成長して様子が全く違っていた。 「坂本龍馬」と「中岡慎太郎」のモニュメントを探すのに少し時間がかかる。やたらと「いもぼう」の看板が目立つ。 隣接する「知恩院」の「三門」から入る。参詣出口近くの「友禅苑」へ寄って庭園の紅葉を撮ることにした。 まわったところはすべて「見頃」だったから〜紅葉シーズンを丸かぶり〜 満喫した !! |
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ゴールデンウィーク明けを狙って京都へ。嵐山の渡月橋を渡って「天龍寺」へ向かう。 天龍寺の本堂などは長期の修復工事中なので「曹源池」をメインにした南門からの庭園参拝コースのみだった。 北門を出て左折、TVなどのお馴染の竹林を少し昇る。密生して空中に伸びる竹群はとにかく長い。 近くの縁結び野宮神社を観て本道に戻り、鴨ねぎうどんを食べる。 すぐ近くの嵐電・嵐山駅から乗車、帷子の辻で嵐電北野線に乗り換え、「御室仁和寺」で下車、 正面の二王門から中門へ入ると、今シーズン見損なった「御室桜」が青々と密集した繁みを作っている。 右手に五重塔、正面の金堂で拝観チケットのもぎりのおじさんが待ち受けていた。 渡り廊下から観る見事な新緑の庭園は飽きることが無い。 |
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明治時代から始まった恒例の通り抜けも今年で130年になるとか。 ほぼ満開の八重桜の間を縫って大勢の花見客の流れに順応したり逆行したり !! 今年の桜「天の川」はあまり見栄えがしなかった。 |
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今年の開花は予想よりも若干早かったようだ。甲子園の選抜大会観戦の合間に撮影。 生憎どんよりとした空模様では、淡いピンクの桜も映えない。 |
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本戎の日だったので大混雑の中をなんとかもぐり込んで撮影した。 自分以外はそこそこのお歳のおじさんばかりが福娘を狙ってバシャバシャ !! |
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数十年ぶりに公園内へ入ったが、当然のことだが樹木の成長は驚くばかりだ。 陸上競技場二つ・球技場・植物園など施設は充実していて 四季を通じて市民の憩いの場になっている。 |
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満開の桜の下で弁当を拡げる三々五々のグループ・これも花盛り !! シートの上で仰向けに憩むと気宇壮大・久しぶりに若返った(笑) 「日本館」跡地の「東の広場」では若者が運動会で盛り上がっていた。 まもなくチューリップ祭りが始まる。 |
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この2.3日の気温上昇で一挙に開花 !! 今年は選抜高校野球と重なる事無く観桜できる。 しかし今日の陽気はまた格別、汗だくでカメラワーク、塩飴が欲しくなった(笑) |
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WさんとSさんとの紅葉撮影会。 地元Wさんの車に便乗し楽しいドライブを兼ねての一日になった。 観光客が殺到している京都を避けたのは大正解。久々に清澄な空気を満喫出来た。 |
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今日はWさん.Sさんとの楽しい撮影行になった。 七分咲きの園内は、時々刻々と老若男女のカメラマンが増えてくる。 不安定な天候ではあったが、幸いにも雨には遭わず撮影会は無事終了。 梅田へ戻って昼食を摂りながらの四方山話が弾む。また三人で行きましょう !! |
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バラ園はそんなに広くないが品種が豊富なので毎年出かけている | ||||
この「長岡天神」も20数年ぶりの参詣。 大鳥居から八条ヶ池を跨ぐ中堤と太鼓橋両側の「霧島つつじ」は満開。 参道傍ら店舗で「朝掘り竹の子」を買って帰る。 |
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「真言宗大慈山 乙訓寺」本山長谷寺から昭和15年に献木されたのが発祥。 約2千本のぼたんが順次開花する。 |
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重要文化財・旧西尾邸は、江戸時代仙洞御料方の代々庄屋を務めていた 西尾家第十一代、十二代当主が明治中期から昭和初期にかけて建築したものである。 著名建築家・武田五一、植物学者・牧野富太郎、作曲家・貴志康一各氏は縁戚、知人で あるところから当主との交流がさかんに行われた。 主屋、離れ屋、茶室、土蔵などの建造物、庭園、16基の由緒ある石灯篭、釣鐘形の時計、 電話番号一番の電話機、台所の配電盤などが当時の状態で保存されている。 |
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この原谷苑は、Sさんから「枝垂れ桜が素晴らしい」とお聞きしていた撮影スポットの一つ。 日曜日の「特別入場料金」をガッポリと取られたが、その情報通りのボリューム満点の枝垂れ桜に 圧倒された。小1時間で撮り終えて所々に設置された縁台で一服する。 余りにも桜の木が密集していて「意外と撮影ポイントもアングルも取り難くかった」と実感した。 久しぶりに春爛漫の暖かい気分を満喫し、カメラバックの重さも空腹感も忘れて撮影に没頭した。 |
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絶好の行楽日和 !! 嵯峨嵐山駅から大覚寺へは徒歩で15分、丁度9時に到着。 真言宗大覚寺派本山、南北朝時代には南朝の御所となった。宸殿の狩野山楽の襖絵が素晴らしい。 また特別名宝展が開催中だったので平安・鎌倉・室町時代の多くの仏像がほんの手の届く近距離から 拝観できた。ただ残念だったのは大沢池畔の桜が前日の強風でほとんど散ってしまっていた。 |
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アサヒビール吹田工場の前の「迎賓館」へはじめて入る。 常時一般公開しているので四季を通じて庭園散策を楽しめそうだ。 |
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「咲き始め」を納得して出かけてみたが矢張り早すぎた。 梅花の撮影にはマクロレンズが欠かせない。 |
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アクセス頂いたみなさんにも「年の初めの福」をどうぞ !! 恒例のえべっさんも不況の真っ只中、好天にも恵まれて境内は大混雑。 さすが選り抜きの福娘たちは、ニッコリとメセンをくれました。 |
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関西の実業家・加賀正太郎氏が、別荘として大正初期に新築した。 大正4年4月15日京都滞在中の「夏目漱石夫妻」が、加賀氏の招きでこの山荘を訪問、 ベランダからの眺望を楽しみ、庭園で関東煮、寿司、ぜんざい等を食したと記録されている。 現在は朝日ビール初代社長山本氏所蔵の陶磁器、絵画などを展示する美術館になっており この時期は山荘を取巻く庭園の紅葉が素晴らしい。近くに真言宗智山派宝積寺が見える。 |
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西山浄土宗の総本山・開山第一世は法然上人。建久9年(1198年)創建に尽力したのが熊谷次郎直実。 十数余の堂宇が立ち並ぶが、毎秋紅葉見物で賑わうのが「もみじ参道」。 出かけたこの日は少しだけ遅かったようだ。 |
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(1) 蘭医学者・緒方洪庵(1810〜1863)が、天保9年(1838)大阪瓦町に開いた蘭学の私塾で、 (2) 開塾30年間に福沢諭吉、大村益次郎他約三千人の俊英が学んだと言う。 (3) 現在の北浜へ移転したのは弘化2年(1845)。 (4)明治元年(1868)江戸幕府の崩壊とともに適塾は閉鎖された。 (5) 幸い昭和20年(1945)の大空襲にも奇跡的に焼失を免れ往時の姿をとどめている。 (6) 現在は、国の重要文化財として大阪大学の管理下にある。 |
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岩手県の「南部曲家」から鹿児島県の「奄美高倉」まで各地から12棟の民家などが移築されている。 |
@ 大阪布施の長屋門 |
A 日向椎葉の民家(国指定重要文化財) ・横一列に部屋が並ぶ「芋屋造り」と言われている。 |
B 信濃秋山の民家(国指定重要文化財) ・豪雪地帯の越後中門造りで外観は茅壁、内部は土間に蓆を敷く。 |
C 大和十津川の民家(大阪府指定有形文化財)・屋根は杉材で部屋が横一列に並ぶ。 |
D 越前敦賀の民家(大阪府指定有形文化財) |
E 北河内の茶室・江戸後期に守口で建築された。 |
F 南部の曲家(大阪府指定有形文化財)・現盛岡市の建築で住居と厩がL 字に繋がっている。 |
G 小豆島の農村歌舞伎舞台(大阪府指定民族資料)・荒魂社境内に在った。安政6年再建されたものである。 |
H 摂津能勢の民家(国指定重要文化財)・妻入り入母屋造りで江戸初期の建築と推定されている。 |
I 奄美大島の高倉(大阪府指定文化財)・宇検村に在ったもので、穀物の保存に最適な構造になっている。 |
J 飛騨白川郷の合掌民家(国指定重要有形民俗文化財) |
K 大阪堂島の米蔵・元堂島川沿いに建っていたもの。 |